昆明についてから、どうも体調が良くない。
初日は下痢。
正露丸にがんばってもらったのに、、、
次は吐き気。
2日間ゆっくり(メシ、ネット、寝るのローテーション)しても、思いのほか良くならない。
風邪には果物。と思っているので、その2日間は
パイナップル(子供の表情が・・・)。 1元
すいか。 カップのが1元
大きなグレープフルーツ。皮が分厚すぎ(木ベラで剥いてます)。 5元
剥いたら手のひらサイズ。パサパサで味はイマイチ。
買うことにテンションが上がって、、、
とうもろこし。 2元
焼き芋。 2元
計り売りしてました。
いろいろ試しましたが、どうも良くならない。
結果があるのには、原因がある。
その原因は何か?
それを改善しないとダメ。
前職で何度も指導していただき、少しは身に付いた考え方のようで、
これまで、2回体調を崩した時(共に下痢)には、
1回目(カンボジア シェムリアップにて)
原因:飲み物に入っていた氷(ナイトクラブでのビールの氷)。
対策:氷は避けて通れない。慣れる意味で、貪慾に氷に挑もう。ただ、移動前は避けよう。
2回目(ラオス ウドムサイにて)
原因:油。チャーハンの食べ過ぎ(安くて、野菜が取れて、注文し易い)。
対策:チャーハンは2日に1回まで。
これで、自分では納得してきました。
ただ、今回は違う。
今まで経験したことのない体調の崩れ方。
ネットで調べて、、、
と、2日目の就寝前に'地球の歩き方'を読んでいると、一つ気になる情報が、
"高山病"
1800m以上の高地に行かれる方は注意が必要。
昆明は、1800mちょっとのところにある。
確かに、少し歩くと疲れる(気がする)。
よし、原因確定。
原因は"昆明"
病は気からか、3日目からは元気になりました。
明日は電車で広州に向かいます(所用時間24時間)。
この機会に、日本のニュースをネットで調べていると、
遂に島耕作が社長に昇進とのこと。
いったい、どこまで出世するんでしょうか。
前は中国、最近はインドと注目される国を取り上げた漫画。
少なからず影響されて、持参した'地球の歩き方'が、実はその2カ国だけ。
昆明にいます。
ここで、タイのバンコクから続いたバス旅行が一旦終了して、鉄道旅行になります。
下のバスの絵のある位置がメンラー(漢字が出ず)〜景洪〜昆明(地図の真ん中上)と中国を来ました。
その最後の景洪〜昆明での出来事。
地球の歩き方(中国とインド編は持参)によると、この区間は14時間かかるとのこと。
始発の8時に乗っても着くのは夜12時になるので、避けてきた深夜バスに乗ることに。
避けてきた理由
・安全面で不安
・バス酔いが不安
特に後者はラオスの山越え(ルアンパパン〜ウドムサイ間)で頭がフラフラになったので。
で、いつも通り出発時間の30分前(18時乗車)に切符を買いに行くと、
21時10分まで満席。
う〜ん。。。
仕方なく、21時10分を買って時間の潰し型に悩んでいると、、、
「どこまで行かれますか?」
日本人の2人組(師匠と弟子って感じ)に声を掛けていただく。
翌日、大理まで行くので、荷物を宿に置いても構わないと。
ご好意に甘えて、荷物を置かせてもらい(シャワーまで浴びさせていただき、食事もご馳走に)。
ありがとうございました。
ひとりはかなりのベテランで、今回はインドがメインとのこと。
いろいろと話を聞かせていただきました。
久々の賑やかな食事に大満足でバスに乗り込む。
う〜ん。キツそう。。。(写真は上段、下に同じベットがある2段式。)
バスに乗る時の鉄則
・なるべく前に座る(車輪の上は避ける)
・窓側に座る
・飲食は極力避ける
・呼吸は口が7:鼻が3のイメージで意識的にリズムよく
とあり、
前から2列目の窓側のベット(安全面を考慮して上段)と理想の条件。
なのに、、、
走り始めて20分で頭はフラフラ。
寝転んで車に乗るってあり得ない。
敷いてあるマットレスは、長年使われた汗臭いの染み付いた体育で使うゼッケンの臭いを思い出させるし。。。
後は自分との戦い。
休憩はいられる限り外に出て、、、
としていると、深夜12時頃にバスが急に停車。
(さっき休憩あったばかりやのに)
なんて考えていると、バス内に、
公安が。。。
社内の捜索が始まる。
最初はめぼしい奴の身分証明書を確認していたのだが、
公安の一人がなんか喋って、乗客は外に。
ビビってフラッシュを焚かずに、地面に固定して撮影したのでわかりにくいですが、迷彩の奴(見た目は20歳前後)はちゃんと銃の引き金に指をかけています。
バスの荷物が全部出されて、一つ一つ持ち主を確認しながら、中を調べていく。
私のバックパックも出されたので、
『こんなバックに何か入ってる訳ないやん』
って日本語で言うと、
懐中電灯を顔に当てて来て、身分証を要求。
パスポートを渡すと、入国スタンプを確認して、荷物は調べずにOK。
人によっては携帯の履歴まで調べられていたようなので、かなり本格的。
担当がバスの写真を撮って、
こんな感じ(やっぱりフラッシュは焚けず)。1時間ほどで終了。
その後は、緊張のためか呼吸が乱れて、バスは遅れを取り戻そうとしてか速度を挙げてで、
頭はグデングデン。
最後には後ろの乗客が大きな嗚咽とともに吐き出して、もう最悪。。。
ヤバかったので、袋の準備までしましたが、なんとかセーフ。
その日は、ホテルでずっと寝てました。
ちょっと中国
これで8元(130円弱)。
どれとどれかわかりますか?
赤信号は、
という意味みたいです。
毛虫パン。
漢字は意味を持つと改めて思いました。
中国とルアンパパンを結ぶ交通の要衝の町、ウドムサイ。
何と言うか、ほぼ中国でした。
泊まったゲストハウスも漢字表記。中国の膨張を感じます。
要衝とあって、とにかくトラックが多く埃っぽい。
その影響か、中国の影響かはわからないけど、とにかく人がよくツバをはく。
「ガー、ペッ」
と言うより、
「ゴガー、(タンの形を作る一瞬の間)、ペッ」
って感じ。
男女関係なく、みんながそうしている。
そして、環境が悪いからか、夜は変な虫が明かりに大量発生。
拡大しない方がいいです。
別に見どころもなく、景色がいい訳でもないので、のんびり散歩をしてホテルに戻って夕飯を食べに行こうとした時
「パチッ」
電気が消えた。
ヒューズがとんだのかなあと、部屋の外にでると、真ッ暗。
テンションが上がってしまい、デジカメの明かりを頼りに外に出ると、外も真っ暗。
ただ、だれひとり慌てることもなく、向かいの商店はロウソク灯で営業中。
フラッシュを焚くとこんな感じ
思わず天を仰ぐと、
星がメチャメチャきれい。
デジカメでは取れませんでしたが、ちょっと感動。
そんな感動にも飽きた50分後に電気が復旧。
夕食がてら、外に出て、空を見たら、
結局、星はキレイでした。
どうやら、上を見ることを忘れていたみたいです。
バスで国境を越えて、今は中国を旅行中です。
町自体が世界遺産なルアンパパン。
ナイトマーケットがとてもきれい。
あと、ワット(お寺)がとにかく多い。
こんなのや、
こんなの、、、
こんなのも。。。
そんななかの一つを散歩中、
『サバイディー』
モンクと挨拶。
なにやら、勉強中。
『何を勉強してんの?』
「英語を勉強中です」
『なんで、英語の勉強してんの?』
「旅行者と話をするためです。彼らは、英語は話せるけど、ラオス語はほとんど話せません。後は、将来の仕事を探しやすくするためです」
なるほど・・・
と立ち去ろうとすると、
「宿題で、この文章をラオス語に直しているのだが、この部分のイメージを教えてほしい」と。
読んでみると、
ヒップホップのファッションについて書いた文章で、
’彼らは、”loose-fitting street fashion”をしていた’の
’loose-fitting street fashion’
を教えてほしいとのこと。
う~ん、、、
イメージはできるが、英語で説明するのは難しい。。。
まず、ズボンを下ろし、
『It's like loose-fitting,you khow?』
「それはわかる」とモンク。
「street fashion」がよくわからないと。
う~ん。
日本やと
’ストリートファッション’
って訳せば丸もらえるもんな。
結局、英語発の言葉なので、ラオス語でストリートファッションって書くのが正解ではないか
と、まったく役に立てず終了。
文章は日本にも言及しており、
’日本の若い女性たちも、リーバイスのジーンズや、アニメキャラクターのプリントされたスカートを好んではいている’
「これは事実か?」って聞かれたので、
『リーバイスのジーンズをはいている若い女性はいるが、アニメキャラクターのプリントされたスカートをはいた女性は見たことがない。少し昔の話ではないか。ちなみに、モンクには服にアニメキャラクターを付けた、ヒップホッパーはいないのか?』
「(笑いながら)私たちは夏も冬も、この服はとても大事なものです。そういったファッションはできません。」
なんて話をして、また、散歩に戻った。
ちなみに、20歳未満はノビース、20歳以上はモンクと言うそうで、彼はノビース(18歳)だった。
ナイトマーケットの雰囲気がよく、思わず買っちゃいました(合わせて10ドル)。
”ハッピー”天国として有名な
バンビエン
要は”ジャンキーの溜まり場”
旅行中に出会う日本人に聞くと
「あそこは自分で買う必要ありませんよ。ゲストハウスの誰かが絶対持ってますから」
とか
「食べるのが一番きますね。みんなで行って”ハッピーフード”食べ過ぎて、ヤバかったですよ。」
なんて話を聞いていた。
(次が中国だから、薬物系は危ないけど、ちょっとぐらいなら、まあいいかな)
なんて、ちょっぴりワクワクしながら、バスは町に到着。
ガイドブック(英語版ロンリープラネット。これしか入手できず)お奨めのゲストハウス(Maylyn Guest House)に向かう。
同じバスに乗っていた日本人が
「安宿は、こっちの市内のほうにあるみたいですよ(地球の歩き方より)」
というのも、
『とりあえず、ロンプラお奨めに行ってみます』
と行って進む。
有料の橋が出てきたが、お金を払って進み、、、
ゲストハウス到着。
竹を編んで作った家(きれい)。
蚊帳のついたベット。
なにより、
食事などの注文は、客がノートに書いて、チェックアウト時に清算というシステムがいい。
ゲストハウス決定。
ちなみに、受付のおばちゃんに曰く、
「日本人は市内(徒歩7分程度)で固まっているので、こっちにはいない」
そして、
「市内に行くのに橋を渡るのは金がかかる。深くないので、歩いて渡ればいい」
これを??
川遊びする小さい子を応援されながら数回渡りました。
実際に、ゲストハウスは欧米人のみ。
”ハッピー体験”は残念ながら出来ず。。。
しかも、ネイティブの集まる会話にはまったく入っていけない。
予定を再考。
バンビエンは、冒険好きにもたまらない場所とあったので、
レンタサイクルで、近場の洞窟巡りに変更。
こんな風景を見ながらサイクリング。
洞窟の案内を見つけて、入場料を払って、洞窟に向かう(懐中電灯を渡される)。
洞窟に向かって歩いていくと、、、
道がけもの道になって、
ようやく着いたら、、、
入り口はどこ?
上の狭い隙間から入ると、
中は真っ暗。
もし、ドラクエを作った人が、実際に洞窟を下見していたなら、最初のドラクエ1の洞窟は真っ暗しますね。
入っていくと、本当に光がない。
しかも、全体が鍾乳洞(確か石灰石だったはず)なので危ない。
下手にこけると命落としかねません。
下手に頭を上げると刺さりそう。
予定が変わって、自然を味わう町になってしまいましたが、爽快感がありました。
冒険好きにはお奨めです。
でも、整備されていない自然なので、しょっちゅう耳元で虫の羽音はするし、道はあってないようなものやし、近場の民族が狩りをしているようで鉄砲を持った人に会うしで、神経はかなり使いました。
ビエンチャンでの昼下がり。
ポテチと7up(懐かしい)を片手に一休み(前の屋台でドリンクを買うと、袋に入れて、氷(おっちゃんの下にある箱(ゴミ箱ではありません)から出して)を入れてくれる)。
(よく腹を壊すと言われる現地の氷も、2回腹を壊すことでなれたみたいです)
ベンチに座って、のんびりと日が傾いていくのを見る時間。
最高の贅沢かも。。。
(日本に帰ったら、おそらくそんな時間は作らないとも思うが・・・)
話は変わって、食事について。
カンボジアとラオスの国境越えは、香港出身のコリーさん
正面の長袖
と二人だった。
バスがラオスに入って、自分はパクセーに、コリーさんはナカサンに行くのでそれぞれのバスを待ちながら食事をしていると
注文した料理
Fried rice with Chicken
コリー「ここの卵はとてもフレッシュだ。なぜなら、そこらにいる鳥のものだから」
確かに、そこかしこに鳥はいる。カンボジア、ラオスともに。
コリー「チキンの選択はグッドだ。なぜなら、チキンも歯ごたえが違う。そこらで動き回っているから」
・・・
確かに。
カンボジアでは、
あからさまに丸焼き(1羽:3~5ドル)が売られていた(食べきれないので買っていない)。
でも、
道端にいる鳥を見て、そんな発想は持たなかった。
ラオスでは、
食べやすくした、焼いたもも肉が売っている(0.7ドルくらい)。
これがまた旨い。
歯ごたえがしっかりしていて、最高。。。
これまでは、鳥を見て
『あ、鳥や』
だったのに、
『あ、旨そう』
という思考が加わった。
ただ、この考え方って、どう思われるのかちょっと不安。
まぁ、調子に乗って屋台で
適当に旨そうだからと注文したら、
小さな蛙を炒めたもの(左上。あまり細かく見ないほうが無難)だったのには冷や汗だった(ちゃんと完食しました)。
骨が軟骨みたいに柔らかく、そのまま食べられる。ただ、生臭さを消すためか大量に使われていた生姜の味しかしなかった。
別れ際に名刺をもらったら、コリーさん、中国の3つ星(中級)ホテルの総経理でした。
メコン川を挟んでタイと国境を隔てる町、Tha Khaek。とてものどかな町。
そこを散歩中、
ワット(写真はPakseのものです。撮り忘れてました)を発見。
4人くらいのモンクがいたので、いつもどおりに、
『サバイディー(こんちにわ)』
と言うと、
こっちにおいでと手招きしてくれる。
一人が英語を話せたので、カタコトの会話が始まった。
ふく『ここはモンクの学校ですか』
「はい」
『何人ぐらいのモンクがいますか?』
「約80人くらいです」
『彼らの年齢は?』
「みんなカンボジア人です」
ここらへんから会話がズレ始める。
『あなたの仕事は?』
「パードゥン?」
『ワット イズ ユア ジョブ?』
「アイ ステイ 二アー ヒアー」
うーん、ダメだ。
なんてしてたら、飯を食おうと誘われる。
モンクの食事
めっちゃ楽しみ。。。
ご飯と焼き魚とスパイシーなサラダ。
意外と普通。
ただ、箸がない。フォークもスプーンも。
さあ、どうする。。。
まずは、みんなを観察。
右手で、ご飯を丸めて、おかずをご飯につけて食べる。
これが作法だと認識。
早速食べてみると、魚がうまい。おそらくメコン川の白身の川魚。臭みもなく、イケル。
ご飯も、もち米っぽくておいしいし、サラダも無難においしい。
モンクの食事も悪くないって思ってると、
左の赤い服のおじさん(おそらくボス。食事が別に用意されていた)が、日本語で
「ニホンジン サカナ スキ」
って言うんで、
『イエス アイライク』
なぜか英語で答えると
「ラオスノ サカナ オイシイ?」
『はい おいしいです』(ここから日本語)
「ワタシ ムカシ サンネン ヨコハマデ ハタライタ」
『何の仕事ですか』
「ゲンバ」
・・・
『工事現場ですか?』
「わかりません」
『建設現場ですか?』
「わかりません」
・・・
「ラオスゴ ワカリマスカ?」
『サバイディーとコプタイン(ありがとう)、タオダイ(値段はいくら?)だけです』
・・・
うーん、ダメだ。
後から来たモンクとは当然だけど、ラオス語で話しているおっちゃん(メニューが追加)。
町で人と会うことは出来ても、その先のコミュニケーションは無理。
シェムリアップでは、バイタクドライバーが英語が出来たから会話になった。ただ、観光地以外では英語の出来るバイタクドライバーもほとんどいない。
当然の課題なんだけど、これから、何を解とするのか?
楽しかったけど、言葉の壁を実感した出来事でした。
バンコク(タイ)
↓(300バーツ、所要時間:12時間)
シェムリアップ
↓(4ドル、所要時間:6時間)
プノンペン
↓(11ドル、所要時間:8時間半)
ストゥントレン
↓(13ドル、所要時間:8時間)
パクセー(ラオス)
地雷やポル・ポトのイメージが強かったけど、想像以上に賑やかで栄えてる国でした。
内戦の影響ですが、子供をはじめ若い人が多かったです。
アンコールワットにて、
「アー ユー タイランド??」
(タイから観光に来たモンクが同じタイ人を探してるねんな。ほんまにもう、ちゃうって見たらわかるやろ)
『ノー ノー アイム ジャパニーズ』
モンク首捻る。
「オー ノー. アー ユー tired」
・・・
同族やったら、タイ語で話すよな・・・。
(しかも、モンクはカンボジア人でした)
仏像に近づくと、右の老女が線香を持ってくる。それを備えて、お祈りすると、お賽銭を入れろと指を指す。そのお賽銭は老女のものに。
「大仏さん。あんたはこの状況をどう思ってるの?」
思わず問いかけました。
歩いていると勝手にガイドをはじめるおっさん。
英語もしゃべれないくせに、終わったときには
「ワン ダラー」
誰が払うねん。
もう一回、遺跡を回ると今度は子供が、
こいつらも自称ガイド。
必死に説明してくれるから、余ってたキシリトールガムをあげると、すごい勢いで取り合ってました。
シェムリアップで泊まったゲストハウスはバイタクドライバーの溜まり場だったので、ビールを買ってみんなで飲むことも
ふく『みんな、どうやって帰るん?』
「バイクで帰ります」
『カンボジアは飲酒運転していいの?』
「はい。(おそらく嘘) でも、日本は厳しいですよね」
『そう。罰金30万やもん』
「でも、福岡の事件起きてから、50万になるかもしれない動きがあります」
『そうなん??』
「あなた、本当に日本人?NHK見てるから、ちゃんと知ってます」
みんな英語ができて、半分は日本語もできました。
ゲストハウスには大抵、子供がいました。
かわいかったので、同じ服(色違い)を買っちゃいました。
後ろはちょっとオシャレさん。
市場はとにかく容量オーバー
これで走ってるからすごい。
意外なところに日本発見。
撮影したら、写真チェック。
気に入らなかったので、
舌を出してみた。
でも、これも気に入らなかった(取り直しを要求)ので、
アップの笑顔で納得。
今は、ラオスのカエックって場所にいます。
ラオスとの国境越えのために訪れた、ストゥントレン。
30分もあれば町を一周できてしまう、とても小さな町(2日間で日本人には会わず。韓国、中国は数人)。
市場はやっぱりどこにでもあるけど、ここでは物乞いと客引き(バスから降りた時にホテルの案内で一人)に会いませんでした。
そんな町での話。
「Hey ヘイ」
自信満々に声をかけてくるおじさん。
なんだろうと近寄ってみると、
ボサボサになった髪を触ってきます。
「Hey」
と言って、ハサミをチョキチョキ。
ボサボサの髪がプロ根性を誘ったのでしょうか?
『おっちゃん。グッド カンボジアンに』
「Hey」
興味本位で散髪することに。
カット終了。
(思いっきり切ったよなぁ)
終わったかと思いきや、
次はヒゲ剃りに、、、(シェービングクリームがカビ臭い気が・・・)
ヒゲ剃り終了。。。
セットで、おっちゃんは、しきりに髪を真ん中で分けてきます。
しかし、おっちゃん、センター分けが気に入らなかったのか、
次は髪をオールバックに、
しかもジェルを使おうとするので、
「オッケー。これでいいよ」
で、
こんな感じになりました。
散髪代2.5ドル。ちょっと高かったなあ。。。
何もなかったけど、のどかでいい町でした。
プノンペンにいます。
バイクが多くて、スピード出して、信号守らないから危ない。。。
王宮や、
国立博物館、
ワット・プノン、
独立記念塔など、
一通り、有名どころに行きましたが、、、
トゥール・スレン博物館。
ここは考えさせられました。
もともとは学校だったが、ポル・ポト時代に収監所となり、2万人近くが収監され、生きて出られたのが8人だけだったというところ。
これまでにカンボジアで話をした人には先生がポル・ポトに殺されたという人も複数いた。
拷問室は発見当時のまま残されており、
部屋は、一人用に細かく区切られている
番号を付けた収監者の顔写真や殺された人の頭蓋骨も多数展示されていて、やりきれない気分になる。
尋問中の保安規則
どこの国にも少しはあったことかもしれないけど、リアルな実感として感じると重くのしかかってくる。
独居房で殺されるのを待ちながら、どんな景色を見ていたのだろう。
自分って、いい時代にいい国に生まれたんだなぁ・・・。
部屋を探していて、声をかけてきたゲストハウス付きのバイクタクシードライバー。日本語が少し出来るのが多少ありがたかった。
どこの町にいってもある普通の出来事。
初日に連れて行ってもらったアンコールワットの夕日(翌日の入場券を買うと、前日の17時以降は中に入れる)が曇って見えなかったので、むしろがっかりしていた。
そんな帰り道の話
ふく『サンセット見れなかったね。まあ、明日のアンコールワット見学を楽しみにするよ』
キン「この後、どうしますか」
『ご飯、おいしいところ知らん?』
「焼肉食べますか?割り勘しますよ」
(そんな日本語知ってるんや…)
真ん中上に若いバナナがあり、それが胃の薬らしい。
そんなわけで、二人で焼肉に。
ビールを飲んで話すと、いろいろな話が出てくる。
「りょこうする人は、シェムリアップやプノンペンだけ見て、”すごい車、すごいバイク、すごい人。カンボジアもにぎやか”っていうけど、ほんとうに貧しいのは田舎。それをみる人は誰もいない。わたしのいなかもすごい田舎で、体洗うのも、料理も池の水。トイレは草むら」
「アンコールワットには、まいとし300万人の旅行者がくる。ワンデイチケットでも、ひとり20ドルだから、6000万ドル。だけど、カンボジアの人は豊かにならない」
「ガバメントスタッフのきゅうりょうは月に50ドルくらい。でも、新しいお家がどんどん建つ。なんで??」
「ポケットマネーがたくさん。だから、あまりカンボジア好きじゃない」
『じゃあ、キンは将来何になりたいの?』
「プライベートスクールで日本語学んで、日本語ガイドになりたい。一日25ドル以上もらえる」
『お金稼いでどうするの?』
「ゲストハウス作る。オーナー何もしていない。でもお金持ち」
キンの部屋(私が泊まった部屋と同じ広さで5人宿泊)で撮影(日本語のテキストは原本をコピーして冊子にしたもの)ちなみに、プライベートスクールは月4ドルとのこと。
バイクで街を周っていると、建設中のショッピングセンターなどもあるので、
『すげーやん。都会やん』なんて言うと、
「でも、これはカンボジアのものじゃない。みんなアメリカやヨーロッパ、日本のもの」
他にもいろいろな話をした。
女の子の相場(ここ数年で7倍くらいに)や、旅行者のタイプ(日本人は韓国、中国人よりもフレンドリー。アジアでは、ずっと日本人が多かったけど、最近は韓国人旅行者の方が多いとのこと)、どこの人が好みか(キンは韓国人)など、たわいもない話。
別に卑屈に話すわけでもない。
他のバイタクドライバーたちも、英語や日本語のプライベートスクールに通っている。
少しでも多い収入が得られるガイドになるために。
外には物乞いがたくさんいる。
彼らには、能力を上げて、より多くのお金を稼ぐことが当たり前に存在していた。
シュムリアップです。(従業員用で余った部屋(シャワー、トイレ共同)に2.5ドル/日で宿泊中)
金額しだいだけど、いける限りは夜の遊び場にもなるべく行きたい。
それも、単純に女の子を買うところではなくって、夜にトゥクトゥクの運転手が行かないかと声を掛けてくる場所に。
それで、その国に触れたって少しは自己満足できる。
タイではそれが”ゴーゴーバー”(選挙のためお酒の販売がNGで閉まってるとのことだったので行けず)
カンボジアでは”ナイトクラブ”がそれにあたるらしい(マッサージの誘いも多い)。
シュムリアップ観光をずっと共にしているバイクタクシードライバーのキン(日本語多少出来る)に聞くと
(飲む・・・、問題なし。 触る・・・、無問題。 踊る・・・、なんとかなるやろ)
中は、耳が痛くなるほどの大音量で音楽が流れている。
座ると、女の子が3人、それぞれに異なる銘柄のビールが書かれたメニューを持ってくる。
どのビールかを選ぶと、その銘柄を持ってきた女の子が隣につく。
この時点でかなりの後悔。もっと選べば・・・。
気を取り直して、、、
まずは基本的に
『ハウ オールド アー ユー?』
女の子、ハニカミのみ。
う~ん、
『ファッツ ユアー ネーム』
女の子、ハニカミ。
『お名前は』
女の子、愛想笑い。
『キン。この子、英語もジャパニーズも出来へんの』
キン「はい。そうみたいです」
・・・
どうしよ・・・。
言葉が通じない女の子と仲良くなる方法は・・・。
キンはキンで「なぜ、触らない。この子5ドルかかってるよ」
なんて言うし。
言葉が通じない(コミュニケーションの全くとれていない)女の子をただ触る(しかもあんな感じやし)、ことは精神的にきつい。
女の子が手を取って、
・・・
周りはオールカンボジアン。
・・・
女の子は踊りになるとイキイキ。
キンは、よくわからないけど、一応踊っている。
(もし、ジャマイカに行って、踊れなかったら恥ずかしいよな。ここは練習や。誰も見ていない)
(恥ずかしさでこみ上げてくる笑を抑えて)、音楽に合わせて体を上下左右に揺さぶる。
女の子の笑顔が妙に気になる。
(おれを笑ってるんやないか??)
思い切って、手を上に上げて動かす。
(おれ、結構踊れてるんじゃない)
と、曲が変わって、女の子に席に戻される。
で、
また、座って、目が合ったらハニカミ合いに。
ビールが無くなったところで終了。割り勘して、1人10ドル(金額はカンボジア人の分も会計時点で割り増しして割り当てられてるかもしれないのであてになりません)。
帰りにキンに
『キンも大して踊れてないやん』って言ったら、
「今日は風邪だから、あんまり踊らなかった」
だって。。。
アンコールワットの朝焼けに始まり、
細かい石細工に気が遠くなり、
ラピュタや
ドラクエの世界を思い出し、
夕方のアンコールワットで締める。
とにかく壮大。一見の価値あり。
宮崎駿ファンを自認するので、
ラピュタのモデルとも言われているベンメリエ(ここは遺跡群から離れていて、シュムリアップ市内からバイタクで1時間20分ぐらい、お尻が痛い・・・。入場料も別で5ドルかかる)にも行ってきました。
修復が最小限で観光客も少ないですが、石を乗り越えて見学することになり、結構疲れました。
遺跡は朽ちた状態が素晴らしいって思う人にはオススメです。
気の遠くなる時間かかって作ったものが、気の遠くなる時間かかって壊れて、また気の遠くなる時間かかって修復して、、、。
カンボジアではゆっくり時間が流れています。
300バーツ(日本円は×3.5)で国境越え+アンコールワットの町、シェムリアップへ。
チケットはカオサン通りにある、日本人が経営する”MPツアーズ(みんな日本語ができるので、日本人が集まっている)”でゲット。
3泊4日のアンコールワット見学ツアー(3300バーツ)と同じバスで国境まで向かう途中、、、
バスがパンクして、立ち往生。上の写真の後輪、ひとつありません。。。
バスの乗客はほぼ日本人なのに、、、
僕の隣は、なぜか白人さん。まったく話は発生せず。。。
なんとか国境付近についてお昼ご飯。値段が高いので、パイナップルで我慢(市価の2.5倍くらい。足元見やがって…)
食後は話し相手に困って、付近の子供とひと遊び
国境に着くとガイドが
ガイド(以下ガ)「カンボジアのATMは良くない。タイ側でバーツをおろして、入国後、リエル(カンボジアの通貨)に換えるのがいい。ドルも今は弱い」
なるほど…。
で、
素直にタイ側でおろして、
カンボジア入国後、指定されたで両替商へ。
大丈夫、レートは調べてきた。1バーツは、127.8リエル。
いくら使うかな?
タイと同じく、4000バーツを予算にしよう。
で、
両替商に4000バーツを出す。返ってきたのが、328000リエル。
うん?
少なすぎる??
あまりにも少なすぎる???
調べたレートが間違っていたか??
後ろには両替を待つ行列。
両替商は領収書を出さない。
でも、自分の番までで、誰も文句言ってないよな。みんな領収書をもらってないし。。。
何も言わずに、両替終了。
次は、シュムリアップ行きのバスへ、
のはずが……
バスが小さく定員オーバー(ここからはツアーと離れて、待っていた欧米人と合流)で全員乗れず。
で、降ろされたのが、
日本人5人(自分含む。以外は全員学生)
なぜ、日本人???
ガイドに聞いたら
ガ「日本人小さいから…」
ふく『それだけ』
ガ「はい」
絶対ウソだ。
結局、後から来たセダンタイプのタクシーに6人乗り(運転手含む)で、シュムリアップへ。
まあ、3時間で着いた(バスだと6時間くらいかかるらしい)から悪くはなかったけど、
でも、タクシードライバーも、ただで送るって確認してるのに
「いくらくれますか」
なんて言ってくるから、日本人はなめられてるのでしょう。
その日はタクシードライバーの案内したホテルへ(本日オープンでフリーフード、フリードリンクとのこと)。
着いたのは夜9時頃、翌朝撮影。
トゥクトゥクドラーバーたちとホテル前にあった料理を食べて、おやすみなさい(一日いくら稼ぐのか聞いたら、100ドルとのこと。まあ、飲みの場だから…。ちなみに、真ん中の白い服はわからない英語が出てくると”チンチン”としか言わない。まったく。。。)。
タクシーで同席したやつと部屋はシェア。
本当にきれいで、二人で8ドル。ホットシャワーも出る。テレビあり。
結局、本当にフリーフード、ドリンクだったので、めちゃくちゃお得な宿だった。
その同室者から聞いたら、カンボジアでは普通にドルが通じるので、両替しないほうがいいとバンコクで聞いたとのこと。実際、
スーパーはドル表示。
しかも、後から調べたら、レートは調べていたものが正しく、両替の時点で、4000バーツは2/3に。
一番の悪人はガイドでした。
両替は小出しに。特に国境付近は要注意ってことを忘れた哀れなスタートになりました。
まだ、タイです。
朝(と言っても10時過ぎ)起きて、近くの広場へ。
なにやら、行列を発見。
不思議そうに眺めていると、明らかな浮浪者が
「ヘイ!ジャパニーズ。フリーフード!!」
どうやら、炊き出しのようです。
で、並んで、
炊き出し獲得。
麺はそうめんを茹でた感じ。味は、甘辛酸っぱい(辛さ控えめなトムヤンクンに甘味を加えた感じ)で悪くはない。
浮浪者にお礼を言って素直にいただく。
完食。
で、
うろうろ散歩していると、
旅行本(英語のロンリープラネット中心)を売ってる店の集まりを見つける。
次のカンボジアやラオスの情報を求めて、そのひとつへ。
店主「ニイハオ」
ふく『ノー、チャイニーズ。ジャパニーズ』
店主「にほんじんですか。こんにちわ」
結構、日本語がうまい。
聞けば、日本が好きで本と店に来る日本人から独学で学んだとの事。
ふく『さっきはトゥクトゥクの運転手に韓国人に間違えられましたよ』
店主「タイ人にも見えますよ。
う~ん、
ユーアー フレキシブル
‥…
おいっ…
自分のフォローか?
それとも、それで褒めたつもりか??
少し傷心ながらも、話をすると、26歳で大学生とのこと。日本人のゲストハウスはさくらゲストハウスがお勧めとの事などいろいろ教えてくれた。
日本人は礼儀正しくて好きだけど、最近は中国人の観光客が増えているって話もしてた。
ついでに、近くの大学にも行ってみた。
うろうろして、食堂を見つけて、
ツナサンドとthai traditional tea(モカ味のアイスを溶かした感じ)を頼んで、食べて、終了。
一体何がしたかったのか…。
これまで撮った写真を見てると、こういった写真がやっぱり強い。
炊き出し食べている向かいに座っていた一家の子供
ちなみに、タイでの宿。
左一番奥の上段が自分のスペース。
食事は、
昼は屋台で、
25バーツ。
夜は、
一品料理(これは25バーツ)。
思わず寝転がろうとしたら、
駄目でした。
夏に主だったところに行ったので、バンコクは散歩とたまに見つける博物館や美術館に行った程度。
こんな感じ。
明日は朝出発で一日かけて、次はカンボジアです。
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