午前はカザフスタン大使館にて、カザフスタンビザの申請に。
10時半到着(9時到着予定が、やっぱり寝坊)。
入り口には10人程度の中国人。
まっ、この程度なら。
入り口でパスポートを出して、中に入れてもらう。
中にも12人程度。
まっ、この程度なら。。
待つこと1時間半。
12時を過ぎる。
香港での経験から嫌な予感が漂う。
と、12時半を過ぎたころ、、、
看守「今日は終了。水曜(今日が月曜。営業日は月、水、金)来るように」
えっ???
納得が行かない欧米人(3人)に交じって、受け付けカウンターに。
看守が日本人だと話すと、受け付けてくれた。
ただし、パスポートのコピーと、簡単な誓約書を持っていなかったため、門前払いに(誓約書のフォーマットはくれました)。
受け付けすらしてもらえず不満タラタラの中国人たち(おそらく旅行代理店の人)
苛立ちを胸に、午後はウワサの遊園地に、
結構、立派な外見。
入り口を入るとテレビでよく見た光景がお出迎え。
遊園地っぽい雰囲気。
マクケンキー?もありました(チェーン店らしく、南の方にはけっこうあるとのこと)。
やっぱり、見たことあるキャラクターも。
拡大すると。。。
オリジナル(と思う)キャラクターもいましたが、、、
う〜んって感じ。。。
入場料が10元(約150円。学生は5元)。乗り物代が別途必要。閉園が17時と早いです。
平日とあってか、客はほとんどいなく、土産物屋(ヌイグルミなどは、中国のアニメキャラクターやキティちゃんなどを売ってました)の店員は店に入ると起きてくる営業スタイル。
メリーゴーランドが高速回転してました。
普段なら帰ってのんびりするところなのに、なぜかテンションが上がって、夏は21時まで開いているという蘆溝橋に行くことに。
さて、どうやって?
これまで避けていたバスを使う??
まずは、バス停に。
案内のおばちゃんが居たので、蘆溝橋に行きたい旨を伝える(地球の歩き方で蘆溝橋を指さしただけ)。
「ないね。乗り換えが必要」
仕方がないと諦めて引き返そうとしたら、
「このバスに乗って…」
おばちゃんがプッシュ。
あ〜あ、乗っちゃった。。。
運転手に蘆溝橋に行きたいと伝える(指さす)。
「まずは、お金(1元)を払って、、、」
料金先払いでした。。。
乗換駅とバス番号を教えてもらい、そこで降りる。
ここはどこ???
「君、日本語を勉強しているの?」
バスを待っていると、同い年くらいの女の人が。
『違う。中国語を勉強しているの』
…
「それ、日本語でしょ??」
『ぼく、日本人だから』
…
「えっ???」
『簡単な中国語しかわかりません』
…
「どこに行くの?」
『蘆溝橋』
この発音がおかしかったようで、日本人と認識してくれ、
「ここから行くバスはないわよ」
『でも、さっき乗ったバスの運転手があるって、、、』
「バスきたらが運転手に聞いてみましょう」
バスを待っている間、いろいろ話を聞かせてもらい、何かあれば連絡してくれれば、助けてあげると携帯番号をもらいました。
勉強中の英語で、
「ドゥー マイ ベスト」
と言ってくれたのが、初々しくてうれしかったです。
その後、バスを2本乗り継いで(迷子にもなって)、
7時半にようやく蘆溝橋到着(6時以降の入場は無料とのこと)。
(その女性はバスの乗り換えで、自分の停車駅でないのに降りて案内してくれました。感謝感謝です。)
まぁ、橋やなあ、、、
って感じで渡り切り、出たところにあった食堂で晩飯。
明日の誕生日を祝って、一人でビール。
のんびり食堂のおばちゃんと話しながら食べていると、、、
「あんた、どこに帰るの?バスもうないよ。。。」
『大丈夫。大丈夫』
根拠もなしに言う自分。
食べ終わり、バス停に着いたら21時過ぎ。
目的のバスは、、、
21時まで。
まぁ、ここは中国。時間なんてあってないもの。
と願っていると、やっぱりバスが。。。
それに乗って、北京西駅まで(ウルムチ行きの切符を買うため)行くと、
駅前は寝転ぶ人がわんさか(明るさを変えたので見難い写真です)。
日本にも言えますが、これで本当に失業率4.0%(2007年、都市部登録失業率。外務省のページ参照)?って思います。
その後、北京駅に行って、豪雨に見舞われて、ネット喫茶で1時間潰して、まだ豪雨で、北京で2本目の傘を買って、深夜12時半ごろ帰宅。
深夜12時でも駅前から市中心部にある宿まで歩いても(15分くらい)、危ない感じはしなかったので、治安はいいと思います。まあ、公安がいたるところにいますからね。。。
長々とした1日でした。
ここでは、晴れた日でも空から水滴が落ちてきます。
見上げると、、、
排気(水)口が丸出し。
日本もこんな感じでした???
再度中国に入国するため、再び因縁の地”香港”にビザを取りに来ました(中国は15日以内の滞在ならノービザで大丈夫)。
香港には中国ビザを取るために、各国の人が集まっています。
前回は、、、
月曜日の10時半にビザセクション(建物の入り口)に着いたら、、、
大行列
1時間半ちょっと待って、ようやく自分の番になったと思ったら、
昼休みとのことで、入り口のシャッターが下りる(昼休みも12時~2時と非常に長い)。
さすがに腹が立ったので、入り口前の職員に
(日本語で)『お前ら、おれらがずっと並んでんの見てるやろ(後ろに50人ぐらいの行列)!!
なんで、ここで切んねん。
だから中国はあかんねん!!!』
と抗議するも、、、
(中国語でおそらく)「昼休みだから」
と言って、お腹を触っている。
『おれらは、それが食べられへんの。わかるやろ。そんなこと!!』
何を言っても無意味なので、入り口の上で見てるちょっと偉い感じ(唯一ワイシャツを着てた)の人に
『ムカつくから、お前の写真とってやんねん』
とカメラを向けて、写真を撮ったとたん、その偉いっぽいやつがこっちに向かって、
「NO、PHOTO!!!」
と言って、カメラを取り上げて、写真を消せと指示。
消してからも、5分ぐらい、カメラに入っている写真を確認して、ようやく返してくれた。
それから、2時まで待って、建物に入ったら(入り口には金属探知機(空港で通るやつ)があり、ポケットにあった小銭(1枚)のために3度通り直すことに)、また30分ぐらい待たされて、ようやく申請。
なんてことがあった。
で、今回。。。
前回の反省(週始めの午前は特に人が多い。午後は比較的少なかった)を踏まえて、
上海からの電車が香港に着く時間を月曜日(中国に滞在できる限界)の13時過ぎ。ホテルで荷物を置いて、14時過ぎにビザセクションに行く。
完璧な予定を立てた。
実際にその通りにことは進行した。
で、
なんで??
とのこと。。。
スネて、公園で海眺めてました。
う~ん、うまくいかない。
で、今日、、、
もういい。午後は暑いから、午前から並んでやる。
と10時半(9時の営業開始に合わせるつもりが寝坊しました)、目的地に。
行列も少なく、10分程度で建物に入る。
今度こそ、いい流れがきたんじゃないか。。。
中で、順番の番号を渡される。
241番。
今が、、、
121番。。。
……
待つこと3時間半。
結局、前回と同じ時間に、自分の順番に、、、
引きつった作り笑顔で窓口に書類を出すと、
「あなたは私の中国語がわかりますか?」
勉強の成果を見せるとき、(うれしそうな笑顔と共に)中国語で、
『少しなら』
「今、香港では、日本人のビザを受け付けていません」
えっ??
『前回は、大丈夫でしたが…』
「最近、無理になりました」
『旅行代理店を通せば…』
「無理です。日本に帰って取るか、15日以内ならビザがいらないので…」
う~ん、香港。。。
入り口でパスポート確認したときに言ってくれればいいのに、、、
仕方ないので、15日で中国抜けます。。。
日本人は香港で中国ビザがとれません(おそらくオリンピック終了まで)。ご注意を!!
魯迅記念館(公園内にある)にサンダルで入ったら警備員に追い返されました(泣)。
”規定”(規則)だそうです(公園は大丈夫)。
大きな見所のなかった上海ですが、食べ物は良かったです。
チンジャオロースご飯:9元(約135円)
回鍋肉ご飯:10元(約150円)
アヒル(?)の腿肉ご飯:13元(約195円)
注文ごとに麺を作ってくれる、どこにでもある蘭州ラーメン
6元(約90円)
行列で有名な南翔饅頭店(20分ぐらい待ちました)の
上海小籠包:16個で12元 と、
小楊生煎館(10分ぐらい待ちました)の、
焼き小籠包:4個で4元。
個人的には焼き小籠包の方が好み
溢れんばかりのスープ。
どれもおいしく、コストパフォーマンスに大満足。
あと、ドミトリー内の中国人と簡単なコミュニケーションが中国語で取れたのがうれしかったです。
最終日は2人の小朋友(言葉はほぼ通じず、、、)とカメラで撮影会。
1人は、
かわいい男孫子。
もう1人は、
ちょっとわがままな女孫子(四川省出身)
子供視点の写真を楽しんでください。
まずは、執務室のめぼしい物を撮影。。。
いかに中国って感じ。。。
ちょっとセクシー。
作業者(麻雀や食事を共にしてました)を一枚。
子供のアップはやっぱりかわいい。
同じテーマ(ボーとした顔)でこの差。。。
(男の子の)お父さんと、
(女の子の)お父さんが働く作業所
ここ(自分撮影)での2ヶ月、かけがえの無いものでした。
1瓶:2.2元(約33円)
ビールがとにかく安い。
ちなみにタバコは安いので20元程度(約300円)
だからか知らないけど、中国の乾杯は完杯。
つまり、一気飲み。。。
酒に強くも弱くも無いおかげで、これまではなんとか耐えてきた。
そして昨日、、、
社長の奥さんの誕生日。。。
社長宅に妹夫婦も集まって、計8人でお祝い。
特に変わったものはなく、ちょっと豪華(鶏、アヒル、豚の足を茹でたものなどが普段の食事に追加)な食卓で食事。
ただ、普段と変わっていたものは、
お酒の量。
家で飲むときはご飯茶碗をコップに使う。これでの一杯が結構な量。2杯ちょっとでビール1瓶ぐらい。
まずは、それで白酒(トップ写真の白い瓶のやつ、おそらくアルコール度数40~50%程度)を一杯(これは一気でなく、5口ぐらいで飲んだ)。それ以降はビール。
すぐ、顔が赤くなる性質なので、そのおかげでこれまでは、途中からの一気の誘いが弱くなり助かっていた。
おそらく白酒一杯の時点で顔は真っ赤なはず。
ただ、妹夫婦の旦那さん(一緒に飲むのは初めて、以下、旦那さん)はこれまでの人とは違った。
白酒以降に、
「初めて飲むからまず、(おれと)完杯」
「お世話になってる先の社長(以下、社長)にも当然、完杯」
「中国では続けて2回完杯するのが最上の礼儀(真偽不明)。だからもう一回、社長と完杯」
「奥さんのお祝いだから、奥さんとも当然、完杯」
「社長のお父さんとも完杯」
同じように完杯攻めに合ってた通訳さんが飲めていないので、通訳さんの代わりに旦那さんとまた完杯。
1時間程度でこの量。この時点でかなりグロッキー。
すると、
「もう一度、おれ(旦那さん)と完杯(なんて言っていたか覚えていない)」
これを飲み干して、トイレに直行。
なんとかこらえたが、やばかったので別室で座って休息一下。
少しして、帰ろう(ほんとうにきつかったので、途中退場。部屋までは徒歩5分程度)と食卓を通ると、
社長「ここに一杯残っている」
旦那さんがそれをこっちに渡してくれる。
それを笑顔で受け取る自分。
最後に旦那さんと完杯。。。
帰って、(トイレでアルコール量を減らしてから)ベットでおやすみなさい。
社長の一言
「一気、一気で飲んで、帰ってすぐ寝る。これが、好(良い)な中国男人」
同意できません。
今日の朝ご飯。ラーメン(目玉焼き入り)。いくらでしょう?
外の景色は、、、
こんな感じ。。。
いきなりですが、問題です。
中国人(現住の無錫周辺でですが)が一番良く知っている日本語は??
”コンニチハ”
”アリガトウ”
”ヨロシクオネガイシマス”
いろいろ考えられると思います。
さあ、どうでしょう???
正解は、、、
”みしみし”
どうでしょう?
なんじゃそりゃって感じですか??
でも、ここに来て、いろんな人と会いましたが、日本人と紹介されるとほとんどの人が
「リーベンレン(日本人)、、、”みしみし”かぁ!」
みたいな事を言ってきました。
それでは、この”みしみし”。なんて意味でしょう?
最初は意味が分からず、
「日本語に”みしみし”なんて言葉は無いよ」
って言ってたんですが、
ある人が、
「食事をすることを中国語では”ツーファン”。日本語では”みしみし”かぁ」
って言っていたので、後日、通訳さん(職探し中で1ヶ月前ぐらいからボランティアで中国語を教えてくれている。偶然に感謝)に聞いてみると、
「戦争のドラマで、中国を侵略している日本人が食事をするときに”メシ、メシ”って言ったのが、”みしみし”ってなったんです」
とのこと。
そして、今でもそういったドラマがやっているので、広く人々が知る日本語(もどき)になったのだと言う。
ちなみに、知名度の2番は”よしよし”(中国人に対しての台詞)、3番は”すらすら”(話から察するに首を切る前に言っている言葉)。
”アリガトウ”、などの言葉は、ほぼ誰も知りませんでした。
お茶はコップに茶葉を入れるのが一般的。
『中国人って日本に対して、どんな風に思っているの?』
ある時、社長に聞いてみた。
「大きく4つある。
1.日本(大和)民族は聡明(漢族と同じくらい)
2.科学技術がとても発展している
3.戦争で中国をとても傷つけた
4.日本人は中国人を下に見ている
前の二つは良い点で後の二つは悪い点。でも、これからは協力して発展していかなければならない」
確かに…。納得できる。。。
『では、なぜ、中国は発展が遅れたのか?』
「日本が清と戦争したときには、中国は莫大な賠償金を払った。それで、日本は教育に力を入れて発展できた。しかし、日本が負けた戦争では、中国は賠償金のもらっていない。だから、日本人の生活が悪くならずに、今に至っている」
『でも、、、』
「コウヘイは知らないだけだよ。前の戦争で、南京で30万人。中国全土では3000万人前後の人が殺されている。
ただ、これからは武力ではなく、経済で協力していくことが大事なんだ。武力は最低な方法だ」
これを、
’中国の半日教育で、デタラメな数字だ’
とか
’自国を棚に挙げて、何を言っているんだ’
なんて言うことは簡単。
でも、それではそれ。そんな言い合いに意味は無い気がする。
『確かに武力は良くない。。。』
深い話でもっと聞きたいんだけど、、、
話の落とし所が見つからず、それだけ言って中国語の勉強に戻った自分でした。
ニュースでは、ずっと四川の地震を報道しています。
地の中国を知りたいと思って始めた中国生活。
ある日、お世話先の社長から、
「先進国の人は、なぜ中国には自由が無いというのか?」(通訳介して)
という質問を受けた。
う~ん、、、
『ひとつの話だけど、中国は死刑の数が世界で圧倒的に多い。国の国民に対する締め付けが強いんだと思う。だから、自由が無いと言われているのではないか?』
「アメリカの方が多いだろう?」
『アメリカは宗教などで死刑が少ないと思う。確かな数はわからないが、中国が圧倒的に多かったはず』
「実際に中国に来てみて、どう思う?」
『今はわからない。そういったことを知りたいので、中国語を学んで、その後に中国を回ろうと考えています』
「こういったことを話すことは、お互いの国を知ることにつながるので、重要だと思う。ただ、私個人の考えなので、中国全体ではありません」
なんて話ができた。
ただ、翌日も地震の話には触れずに、聖火リレーを続ける中国は、オリンピック前にまた国際的に批判されそうです。ちなみに、地震の報道はちゃんとされています。
食事中に分けてくれと、テーブルの下で、足に身体をぶつけてくる猫は地震当日も相変わらずでした。
ある日のこと、いつものように社長室で中国語の勉強をしていると、社長と見知らぬ数人が中に入ってくる。
昼から結構な酒を飲んでいたようで、みんな顔がちょっと赤い。
すると社長が、
「コウヘイ(漢字の中国語読みは違うけど、呼び名はこれに統一)。彼はゴミ収集に関して事業を考えている。そして、最初に政府から公式にゴミ対策についての許可を得た人だ(真偽は不明)。この町から環境問題を始めようと動いているんだ(通訳を介して)」
と紹介を受ける。
とりあえず握手をして、話を聞くと、その人は、
「今、中国政府はゴミ問題について力を入れている。しかし、回収、処理などの設備はまだない。そういった設備を作ろうとしている。金額は約3000ドルで半分は政府が負担する。もし興味のある日本人の朋友がいれば、(出資者を)紹介してほしい。この町から環境対策を始めるんだ」
とのこと。
『儲かるんですか?』
「ゴミの中には、再利用可能な資源がたくさんある。それを再利用すれば儲かる。しかも、今ならゴミ処理施設を作ると言えば、その土地を政府からタダで50年間借りれるんだ」
『わかりました。が、まだまだ若者なんで、そんな友達は今はいません』
と答えると、
「今はそうでしょうが、何かあれば、教えてください」
と言うと、別テーブルで社長や他の人たちとの話が始まり、中国語の勉強に戻る。
後から社長に、
『ゴミ処理施設を作ると言えば、50年間土地が借りれるなら、(窓から外を指差して)ここに作ると言えば、この土地をタダで借りれるの?』
と確認すると、
「そうだ」
とのこと(そこにいる住民はどうするんだろう…)。
まあ、真偽のほどはわかりません。。。ただ、
”環境問題”
確かに、何とかしなければならない問題。ゴミもそうだし、大気などの汚染もそう。興味もある。
雨の日に大量発生していた小さい蛙。
拡大すると、
昔からの光景かもしれないけど、こんなことも”環境破壊のせいなのでは?”と自然に思ってしまうぐらいの今の環境。
(ここから環境問題を始めようなんて有志もいるんやなあ)
なんて、思っていた翌日。社長室のゴミ箱が一杯になったので、
『ゴミはどこに捨てればいい?』
と聞くと、
「あっち」
えっ?! あっち、って……
社長室(2階)の下。捨てられたゴミ多数。水が溜まっていて、前の池に流れている。
「ゴミの回収が無いので仕方がない」とのこと。
う~ん、仕方がないのか??
散髪しました。
5月1,2日は中国も祝日なので、部屋でのんびり、時間を持て余してます。
最近は、
”起きて、執務室に行って中国語の勉強、帰って就寝”
と変化の薄い日常を送っています。
そんな日常、、、
工場の作業場。危ないからか、入れてもらえません。
朝起きて、この道を歩いて会社へ。
隣の工場からはモクモクと黒い煙が…。。。
近所の池(透明度:推定5cm)では、選択する主婦も。。。
メーデーの花火を撮影(7時25分ごろ)。
街灯が無いので7時半を過ぎたら、電灯なしでは歩けません。
隣室には作業員(23歳)が居住。夕食後は部屋に帰って、(天井裏で動いているらしいネズミの足音の中)仲良く筆談でコミュニケーション。
う~ん、書くことが何も無い。。。
発見と言えば、想像以上にネズミの足音って、うるさいことぐらい。
3週間たっても中国語がほぼダメ。
歳のせいか、もともとなのか、予想以上に悪い物覚えに苦しんでいます。
ラオスでの道のり(すべてバスで移動)
Pakse(パクセー)
↓約9時間。50000キップ。(約550円。トゥクトゥクに言ったところと違うバス停に連れて行かれたが、こっちのほうが5000キップ安かった)
Thakek(タケック)
↓約6時間。50000キップ(約550円)
Vientiane(ビエンチャン)
↓約4時間半。25000キップ(約300円)
Vangvieng(バンビエン)
↓約9時間。40000キップ
Luang Phabang(ルアンパパン)
↓約6時間。50000キップ
Oudomxai(ウドムサイ)
↓約5時間半。55000キップ。ルアンナムタとの分かれ道以降は道がきれいに舗装されていた。
メンラー(中国)
ラオス滞在:12日
使った総額:約20767円(1日平均:1731円)
”バスで移動、翌日、町を観光。その翌日バスで次の町へ”の繰り返し。
カンボジアとの国境を越えてラオスに入国(手前の二人は同じ車に乗車したオーストラリア人。やっぱり、ネイティブの英語は聞き取れない。もう1人同乗したのが、前にブログに出てきたコリーさん)。
振り返れば、メコン川を上っていく旅。
ストゥントレン(カンボジア)に始まり、
パクセー、
タケック(向こうはタイ)、
ビエンチャン(後ろがメコン川)、
ルアンパパン。
メコン川はどこまで続くんだか。。。
町が小さいので、観光は徒歩かレンタサイクルで町を一周(ビエンチャンでも1日で十分回れる広さ)。
自転車で観光中(パクセー市内)。この頃は元気だった。。。
バスは基本クーラーなし。
荷物も一緒。
途中で急に止まって、荷物を積んでと、バスには彼らの地図がありました。
チケット売り場はこんな感じ。
トイレ休憩では、窓にたくさんの物売り(写真はたぶんお酒)が。。
食事は、
カオニャオ(炊いたもち米)と鶏肉がオススメ(あわせて8000キップ程度)。
女の人が強くて、
サンドイッチ。4000キップ(元フランス領なので、パンがおいしい)。
なかなか声をかけないトゥクトゥクドライバー
これまでの国と比べて、あまり馴れ馴れしくできない人間性を感じました。
ホテルは、
ビエンチャン(サバイディーゲストハウス:25000キップ/日。夜は蚊が多かった)
ルアンパパン(名称不明。旅行案内所の上にあるドミ。金がないとゴネると連れて行ってもらえた。40000キップ/日。ドミ(ベッド5つ)だけど、宿泊者は自分だけ。考えようでは、非常に危険)。
たいていのトイレにお金がかかる。
タケックで4つの鍾乳洞探検ツアー(23ドル。所要時間5時間。高い。お奨めしません)の途中に出会った夫婦。車で旅しているらしく、「ここ(車)は最高の宿よ」とのこと。
ロンリープラネットお奨めのレストラン『Bounmala』(ビエンチャン)
ちょっと離れているけど、生ビールが飲めて、料理もうまい。
ビール2杯を合わせて、45000キップ程度。お奨めです。
パクセーで見つけた日本。キャラクターとポテトフライのミスマッチ。有名なキャラクターなんでしょうか?
最後はやっぱり、ビアラオ。
ビエンチャン、バンビエン(バスで同乗した人との再会)、ルアンパパンは日本人も多く、日本人との出会いもありました。
景洪(中国)でメコンに再開&お別れ。
ルアンパパンで買った服がパジャマで活躍中。
ボランティア先でお世話になって、1週間。
言葉の記憶もさることながら、中国語で難しいのが、発音。
日本語に無い発音にプラスして、
ア→ ア↑ ア↓↑ ア↓
っていう四声。こいつがクセモノ。
学ぶなら、中国で標準語とされている普通話(北京語)を学ぼうってことで、
発音の老師(中国語で先生)は、、、
8歳(土日限定。子供が一番正しい普通話を学んでいる)。。
教科書は、、、
小学1年生。。。
熱心な指導が売り。
子供なので、正確な発音でなければはっきりと、素直(すぎるくらい)に、
「不是(間違い)」
と、厳しい指摘が入る。
翌日には、
老師が5人に。
どうしても出来ない発音(zh、ch、sh)があって、何回も繰り返していると、
最初の内は、老師達、
「不是。不是。。。」
と言っていたのだが、その『不是』すらわかっていないと思われて、
「You are wrong」(真ん中の女の子は11歳で英語を習っているらしい)。
と言われたのには、さすがに凹んだ。
すばらしい老師なのだが、
飽きると、
熱心にお絵描き。
最後は、疲れておやすみなさい。。。
5人のときはちょっとお兄さん。
ひょんなきっかけで、月曜日から中国のとある会社(60人規模の鍍金屋さん)でのボランティア生活が始まった。
今日で5日目終了。
予定は3ヶ月間。その間に中国語の習得と地の中国に触れる事が目的。当然と言うか、英語、日本語、その他外国語が話せる人間はいない。
旅を始めるにあたっては、言葉の壁は仕方が無い。カタコト英語でコミュニケーションを取るしかないと考えていた。
考えが変わったのは、シェムリアップの地雷博物館で日本人ボランティア募集の張り紙を見て以降。
張り紙を見たときには応募する勇気が無かったけど、どうしても気になって、翌日、キンに頼んだら、ベンメリア(アンコールワットから離れたところにある遺跡。ラピュタのモチーフになったとも言われており、日本人には人気)に行くなら、途中で寄る(回り道になり、主要道路以外は未舗装のため、ケツが本当にきつかった)から追加料金はなし。ということで再度、地雷博物館に行った。
日本人は既に足りているので必要ないと、そこではボランティアの申し出を断られた(じゃあ、張り紙はがせよ!)が、そういう方法もあるんだと認識した。
(キンに断られたって伝えたら(入場料がかかるので、バイタクドライバーは施設の入り口で待っている)、「ちょっと待ってて」と言って、15分くらい、相手に何かしらの抗議っぽいことをしてくれた美談あり)。
また、その日、仲良くなった同じホテルに泊まっている日本人から、10年ぐらい前に訪れたチベットが好きで、チベットに住むために青年海外協力隊に応募したら、エチオピアになっちゃたけど、本当に楽しかったと言う話を聞き、一定期間、ある土地に根を下ろすのもありだなと考え始めた。
で、いろいろ探したら、運良く中国で根を下ろすことに。
待遇は、
工場内に一部屋もらえて、 昼間は、
社長室の椅子(社長イス)に座って、ほぼ社長付きっ切りで中国語の勉強。
かなりいい。
食事は、
社長一家と共に家庭料理(社長宅が工場から近く、従業員も交代で食べに来る)。
本当の地の食事(ちょっと豪華かも)。
食後は近所の人が集まり、テーブルを囲んで麻雀や雑談。
社長室から見た風景。 自然がいっぱい。
でも、ごみは散乱しているし、工場からの排気等で、空気はひどいしで、生活環境はかなり悪い。
子供たちの将来が心配。
せっかく、いいチャンスに恵まれたので、いろいろ経験してきます。
洗うものが…。
そんなことを考えると、旅行中の’楽しいだろうなあ’という出来事だけが浮かんでくる。
きれいな景色や、見たこともない料理を食べるドキドキ、
そして、
地元の人とのふれあい。
言葉の壁や、相手の興味、引っ込み思案な性格などから、現実はそうはいかない。
わかっているつもりでも、つい憧れてしまう。旅の風景。
今回は、そんな理想が実現したと感じた、ひとつの形の話。
場所は、香港~上海間の電車の中(15時20分発 翌日11時10分着)。
登場人物は、寝台車で同じ枠だった母と娘(大学卒業後社会人経験3年目)、定年退職した元体育教師のおじいちゃん(血縁関係はない)。
まだ中国と香港間では出入国管理されており、電車は上海までノンストップ。これが理由かはわからないけど、今はプロモーション期間で乗車賃が10%オフ。しかも、今回は3段寝台の3段目が空席という、かなりありがたい状況。今回は景色の見える中段を購入
電車が走り出し、いつものように、外を見ながらくつろいでうとうとしていたら、
向かいの寝台の娘さんが、
「○△□...※□...(おそらく中国語)」
こっちに何か言っている。
『ホワッツ?』
聞くと、
「キャン ユー スピーク イングリッシュ?」
『ア リトル』
「イフ ユー スリープ,ユー ...(聞き取れず)」
『えっ?』
娘さん、こっちの英語レベルを判断して、
「トレイン イズ べリー クール」
と、布団を指差して、
『あ~、ブランケットね。オッケー。謝謝』
と布団を被ると、下の寝台で寝てるお母さんがホッとした表情でこっちを見る。
どうやら、風邪を引くと心配して声をかけてくれたみたい。
そんなきっかけから話が始まって、
娘「Where did you stay in HongKong?」
『I stay Chungking Mansions. do you know?』
「Maybe, I know. How many days did you stay here?」
『5days』
そんな感じで話をしていたら、お母さんがこっちに話しかけてくる(中国語)。
困った顔をしていると、娘さんが、
「Can you speak Chinese?」
『No, now I'm studying but Chinese is very difficult for me.』
と言って、料理の注文や切符の購入などで使っている筆談用のノートを見せる。
娘さんはそれを見ると、「○▲□...」と、発音を教えてくれる。
ここから、中国語のレッスンが始まる(娘さんの名刺をもらったら、シェラトンホテル(5つ星)の従業員。どうりで出来るはず)。
どうやら、ciとchi(下を丸めた無声音っぽいチ)、si(数字の4)とshi(数字の10)、ru(日本の日)とluの違いなどがうまくできないようで、何度もその発音のレクチャーを受ける。その上、単語ごとに語尾を上げる、下げるなどで意味がまったく変わるので、本当に難しい。
下でお母さんは向かいのおじいちゃんと話をしながら、何度も同じ音を繰り返す私たちのマネをしていた。
そんな感じで消灯時間になり、おやすみなさい。
次の日は朝から打ち解けて、下の段に4人で座っておしゃべり(娘さんが通訳)+中国語レッスン。
お母さんが「中国人の印象は?」
って、聞いてきたので、
『電車に乗るときとかに列に並ばない。ドアが開いたら、一気に人が集まる』
って答えると、
みんなが笑い、その後、おじいさんとお母さんでマナーについての話が始まり、
その合間に、娘さんに簡単な中国語の単語を教えてもらう。
そんな感じ。
お母さんが、
「どれくらいの期間、旅行するのか?」
って聞いてきて、
『一年ぐらい』
って答えると、
「よく、親が許したと思う。私なら許さない。兄弟はいるのか?」
『姉と弟がいます』
「だから、許したのか。中国は子供は一人だから」
『でも、今はみんな家を出て、母は一人で暮らしています』
「じゃあ、母親と二人で旅行すればいいのに。私ならそうするのに」
って会話には、中国ってものを少しは感じることができたと思えた。
そんな時間も終わりが来て、
上海に到着。
働いてるシェラトンホテルは他の都市なので、そこに行くことがあれば連絡するとの話をしてお別れ。
いろいろな話が聞けて、旅をしてるなあって感じた楽しい時間でした。
香港。
昆明から24時間かけて
「食は広州にあり」
と意気込んで、広州に入ったのですが、
ゴミゴミしていて、天気が悪いのか空が白んで太陽が見えず、宿も相場が高く、雰囲気が合わなかったので、早々に香港に脱出しました(食は良かった)。
思えば、広州に向かう電車から流れは悪く、
最初は、はしゃいで線路内を動き回り、
写真を撮りまくっていたのですが、
一番安く、防犯上も安全だと思ったので買った、寝台の最上段の位置が高い。
窓がそこまでないので、景色が見えない。
最初は通路側にある席に座って景色に感動してましたが、
寝転んで景色が見れないのは、やっぱりつらい。
途中からは、通路側の席にずっと座る人が現れて、、、
と、こんな流れで着いた広州を後にして、香港に到着。
バックパッカーには有名なチョンキンマンションの最上階のドミトリー(60香港ドル/日)に泊まっています。
ドミには、アメリカ、ドイツ、韓国と様々な国籍がいて、ビル周りにはインド系と黒人がやたらといる。
どこの国かわからなくなる環境。
こういう環境に行くと、英語がもっと出来ればと、また後悔。
物価は高いけど、
景色はきれい。
夜景も(デジカメなのでこんなもん)。
あと、やたらと
日本語を見る。
ユニクロも、値段は香港ドル表示なのに、商品説明は日本語で書いたラベル(読むのではなく、日本語であることに意味があるんだと思う)をつけている。
店がやたらと多いのでショッピングには本当に最適な街だと思います。
香港のトルコ料理屋(ケバブ)で、従業員のスリランカ人に、マレーシア人に間違われました。
なんか、もうメチャクチャ。
予定が大きく変わって、次は上海に行きます。
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